チェコ絵本作家と人形アニメーションの歩み

動物たちと山賊 チェコアニメーションに関して特筆に値する作家といえば、絵本作家であり人形作家、アニメーション監督でもあるイジー・トゥルンカである。戦時中にドイツの命令によりアニメーション映画を制作していたAFIT(プラハのアニメーションスタジオ)は、第二次世界大戦後、国有化され1945 年にトリックブラザーズスタジオと改名したスタジオで、イジー・トゥルンカが中心となり、のちにチェコアニメーションスタジオとして数多くの優れた作品を生み出す。彼はそこで制作した短編アニメーション「動物たちと山賊」で1946 年にカンヌ映画祭トリック映画最優秀賞を獲得する。この賞をきっかけにチェコアニメーション黄金時代が始まりチェコのアニメーションが国際的に評価されることになる。

トリックブラザーズスタジオはセルアニメーション映画を中心に活動していたが、トゥルンカは1946 年に人形アニメーションを作り始め、ブジェチスラフ・ポヤルとボフスラフ・シュラーメクたちと「人形映画スタジオ(のちにイジー・トゥルンカ・スタジオ)」という人形アニメーションを作るためのスタジオを設立する。ここでトゥルンカは1947 年にはじめて長編人形アニメーション映画「チェコの四季」を制作した。その後も数多くの作品を手がけ、1952 年に「チェコの古代伝説」でヴェネチア国際映画祭銀獅子賞を受賞し、チェコの人形アニメーションも世界的な評価を得る。

もぐらくんとズボン 他の代表的なセルアニメーション作家と言えば、ズデネック・ミレルがいる。1945 年にトリックブラザーズスタジオに参加し、1948 年のデビュー作「太陽を盗んだ億万長者」でヴェネチア映画祭特別賞を受賞する。彼の代表作「クルテク」シリーズで1956 年に発表した第1作目「もぐらくんとズボン」でヴェネチア国際映画祭を受賞する。チェコ人気アニメーション番組「ヴェチェルニーチェク」でクルテクは国民的人気キャラクターとなり、絵本界でも世界的に愛される作品となる。

1948 年のチェコスロヴァキア政変(2月事件)の後、ソ連の影響力が強まり共産党による一党独裁制となり、ソ連型社会主義国となっていった頃、言論統制により、出版物は検閲された。そのためチェコの芸術活動はかなり制約された環境で厳しい時代だった。しかし児童教育の育成を重要視していたため、チェコアニメーション(絵本のイラストを含め)の分野においては最も活動的であった。その結果、抑制されていた芸術家たちの限られた表現の場が比較的自由に表現できるアニメーション(絵本も含め)だったため、あらゆる分野の一流芸術家が集まり様々な名作を生み出すことができた。またチェコアニメーションが世界的成功を収めたもう一つの理由として、アニメーションを制作する際、イラストレーターをアニメーション映画の美術として担当させたことである。映画制作で演出以外の担当としてイラストを描くことにより造形美が際だった作品が数多く発表された。

真夏の夜の夢 絵本作家であるイジー・トゥルンカも傑作を次々に生み出した。シェイクスピア作品を脚色して人形アニメーションにした名作「真夏の夜の夢」で1959 年にカンヌ国際映画祭最優秀賞とヴェネチア国際映画祭名誉賞を受賞した。そして、1965 年に制作した短編の人形アニメーション映画「手」は最高傑作と評された。しかし、1968 年に起こったプラハの春以降、「手」という作品の描写が権力者を象徴するかのようで、全体主義体制であるスターリン主義を批判した映画とされ、1989 年のビロード革命まで上映禁止となった。

1970 年以降もヤン・シュヴァンクマイエルやイジー・パルタなどチェコアニメーション映画界を代表する作家が登場する。言論統制の時代から検閲が廃止される時代まで厳しい状況だったにもかかわらず名作が制作されてきたチェコアニメーションとチェコ絵本。現在も芸術性の高い人気作品が世界のファンを魅了し続ける。